昭和四十八年十一月七日 朝の御理解
X御理解 第九十一節 「もとをとって道を開く者は、あられぬ行もするけれど、後々           の者は、そういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせ           る。」
 元をとって道を開くとおおせられますから、やはり教祖の神様御自身の事であると同時に、教会いわゆる布教に出られた先生方、信心のない地方に新たな信心を開いて行かれる。それ々にあられぬ行をされながら、お道開きをなさっておられる。
 同時に又、皆様の場合にも言える。金光様の御信心というものを知らなかった昔、そしてわからせて頂くようになって、段々に修行をさしてもろうて、まあお道の信心一本で、いろいろなおかげを頂いて、いうなら、改式もさして頂いた。
 家族中も信心さして頂いたところまでは大抵その家の中心になる人の信心が、やはり、あられぬ行もされながら、家の信心を開かれたとも言えるわけです。
 みやすうおかげが受けられると、後々の者は、そういう行をせんでもみやすうおかげを受けさせるとおっしゃるのは、どういうような事だろうか。みやすうという事でも、私は、あられぬ行をせんでもね。
 これは前の事ですけども、若先生が高校を卒業するかせんかの頃でございましたでしょうか。御本部参拝の途中だったと思いますが、車がここから、久留米まで送って頂きよるその善導寺教会のこっち側を通る時に、ふっとそんな事を思ったんですよ。 これは勝彦が高校を卒業するが、何処か厳しい教会にでも修行にでも出させて頂こうかなというような事をお取次を頂いて、お願いしょうかな、等思うたんです。
 そしたら神様が自動車の窓、いわゆる車窓から見える、あの耳納山のこと頂いて、耳納山の山上をづっと歩いて行くところを頂いた。それは私がどこか厳しいところに修行に出そうかと思うておった事に対する御返事ですから、まあ、いわゆる此処で私か合楽教会を開かせて頂いて、私は耳納山の麓からずっ-と登って来た。
 だからそういう事はさせんでも、あの山頂伝いにです、それはまあ、山頂伝いに間違いなく、此処を歩いてさえ行けば良いのだとこういう事です。
 ところがその事だけでも私は、成程みやすいとは思われないが、けれども、ですから登る事はいらないという。そこんところが容易うという事だと思うんです。
 なら私が、いうならば、耳納の山頂を極めたんです。耳納山頂には久留米からず-っと頂きのところに道がずっとこうあります。今はいろんな立派なアスファルトの道が出来とる位ですからね。耳納のスカイラインがず-っと出来ておる。
 そこの上をいわば歩いて行くだけでよいと。なら合楽の教会の二代として、おかげを頂いて行くという事は、耳納の麓から登ような信行はせんでも、ここんところを歩いてくるだけでも、間違えると下へ降りたり、向こうへ降りたりなりかねないと思う この上をいわば、コツコツと歩いて行くという事。そういう行をせんでも容易うおかげを受けられるとは、そうした事だと思うんです。
 例えていうならば、元をとって道を開くという。その教祖様の元をとって下さる時です,それこそ、あられもないいろんな修行をなさった。天地の親神様がわかられない。今日ここに紙切れに書いておるのが出てきたのですが、こんな事を私がいつか書いとるわけです。
 正安三年四月一日生まれ 親鸞上人と書いとる。親鸞上人は私と同じ日に生まれてあるのですね。そのことを・・・・・本か何か見て控えておったのでしょう。
 安政五年十二月二十四日、来し方の不幸を過ぎたことですね。過ぎ来し方という事でしょう来し方の不幸を思い返され天地の金乃神様、天地金乃神様への御無礼を知らず難儀いたし、この度、天地金乃神様御知らせ下され、有難し。神に依って生きる感動に噎んでおられる。というような、何か書き抜きでしょう。これを見せて頂きましてもです、様々な不幸に、お出会いになった。そこで様々な御信心を、様々な角度からいわばなさった。はじめて、安政五年十二月二十四日に、天地の親神様からお知らせを受けておられる。
 そして、その難儀の元、天地の神様への、御無礼を知らず難儀痛しと天地の親神様への御無礼が難儀の元になっおるんだという事を、この度天地金乃神様、お知らせ下さり有難しと言うておられる。
 だから、ここまでわかられるまでに、様々ないうなら修行もなさった。だからわかられたからには、ここんところの天地金乃神様が教えて下さった通りの事をなさったところから、金光教の道が開けた。
 だから教祖様から、天地金乃神様からお知らせを頂かれて御教えを沢山残しておいで下さる。ですから私共はその御教えを、只踏んでいけは良いという事。それが容易うという事でということ。
 私がいわば耳納山の麓から登って、山頂を極めた。ならもう、二代、三代はこの山頂をずっと歩いてさえ行けば良い。というのも同じような事ではないでしょうか。
 それに山頂を歩かずにです、他のところを歩いたり、降りたりしょったんでは、容易う頂けるおかげも頂けない事だと思う。
 こういう心の状態、こういうおかげを頂かしてもろうて、段々御教えを忠実に、日常生活の上に現して行くという事。今まではそれを知らなかった。
      ※      ※      ※      ※      ※ これは小倉の桂先生が、大阪の難波の教会に修行に四神様の御口添えでおいでられた。教師のいわば先生の稽古に行かれた。その時に、近藤藤守先生御本部へ参拝なさった。お弟子さんがいくらもそのお弟子さん方にです、ここのお結界の引き出しは決して開けてはならんぞと、お前達はここの中を決して開ける事はなんんぞと言うて、そのお発ちになった。
 ところが見ちゃならんと言われりゃ見たいのが人の常です。しかもお手代わりお結界奉仕は次々されるんですから、或る、これははっきり名前もわかっておられます、先生がお結界奉仕をされておる時に、見ちゃいかんという引き出しに鍵がかけてあるわけじゃない。ですから開けて見た。
 ところがね、教祖の神様が天地金乃神様から受けられたお知らせが神にいっぱい書いて、ここん中に入れてあった。
 いわゆる教典の基です。その時分はまだ教典のなか時分です。丁度その時に御広前に桂先生が出て来られたら、桂さん、桂さん、という言われる。何ですか、と言うたら、今日は私は大変なものを見さして頂いた、あんたも早う、私もこれを書き写したから、あんたも書き写せと言うてその控えを見せられた。
 そしたら一番はじめに、書かれた御教えを一つ書かれてなおされた。なぜ、どうして全部書き写さんかと言うて言われたら、桂先生がおっしゃったそうです。
 とても、とてもこの御教え一つでも、これを頂く事は大変な事だと、とても皆書いたって、とても頂きゃきらんと言うて、話しが残っております。
 だから、御教えというものは、その位に忠実に頂くものだという事です。沢山な事はいらん、神様が教えて下さった、これだと思う御教えにいわば徹するという事、徹するという事。
 此処では、教祖様の御教えを毎日こうやって頂いて、そしてそれを理解、いよいよ深く、広く、理解づけて下さる。けれども、その理解づけて下さる事がです、ぎりぎた結局のところを、どこをどうわからせようとして、私が皆さんに聞いて頂いとるかというとね、結局信心とは有難とうなる稽古だと。有難とうならせて頂く為にです、そこで私はですよ、なら、有難うならせて頂く為に一つ本気で成り行きを大事にして行きなさい。手もとのところを大事にして行け、全ての事を御事柄として受けて行けと、此処でいうなら、まあ、一点張りとも言うてよい位です。
 毎日の御理解を煎じ詰めるとそうなるです。合楽の御理解はですから、そこに精根を据えたらよいわけです。
 そこを本気で頂いたらおかげが受けられる。それがです、わからない間は私も様々なあられもない行をさせられた。そして山頂を極めて、もう真の信心とはこれ、お徳が受けられる道とはこれ、というならば、ここまで極めたわけです。
 その極めたところを皆さんに聞いて頂いとるわけです。
      ※      ※      ※      ※      ※ 先日熊本の日奈久の富永先生が、必ず月末に御礼参拝をされる。そして又四日の神愛会に又出席される。必ずこれは月末の御礼があります。その時に丁度私が四時半さがってからでしたから、夕食に上げようと思ったんですけれども、時間がないから、帰ると言われる。それでなら、お茶だけでも頂いて行きなさいと言うて何か果物でも良いじゃないかというて出しましたら、小さい西瓜を切ってきた。それで私が、富永先生神様がこれはいよいよ、西瓜を求めておられるから、一切、しゃっち頂いて行かにゃいかんばいと。と言うて、なら頂きましょうと言うてから、西瓜一切頂いて帰られた。そして、今度四日の日に見えてからの話しですもんね。
 もう親先生、もう親先生のおっしゃった通りの事が、汽車に乗ってからすぐから震いがきたと、体に。けれども丁度こちらへ西瓜を頂く時にです、西瓜という事は修行と、こちらで頂いておりますから、親先生が修行せよとおっしゃった事なんだから、これは心配する事も何もいらん。只、苦しいなら、成程結構な修行させて頂いて有難うございますと言うて、あちらへ帰るまでそうじゃったと。
 もう、あちらへ帰り着いたら嘘のようにおかげ頂いたという話しをなさっておられます。ですから神様はそのようにして、それは必ず西瓜食べた時だけが修行じゃない 起きてくるその事をです、例えば有難く修行として受けるという事。      ※      ※      ※      ※      ※ 私はここ二、三日寝む時は、私は電気消して真っ暗にして寝みます。それが寝みよいですね。ところがここ二、三日眠られない。ところが不思議に電気をつけると眠気がくる。どういうわけかと言うとですね、電気をつけると有難うなってくるです自然と。もうさせて頂いている枕であろうと、枕カバ-であろうが、着とる毛布であろうが布団であろうがそこに置いてあるもう、こうやって眺めさして頂いておると、もうそこにある、小道具の一つ一つが全部天地の親神様が大坪総一郎に下さったおかげばっかりなんです。
 それをず-っと見よると有難うなってくる。それこそ、此処にもありますように、神様の有難さ噎んでおられるという、教祖様の言葉がありますようにそのもう、噎び泣きたい位に有難うなってくる。有難とうなってくると段々に眠気がついてくる。
 だから信心とは有難とうなる稽古であるという事は私共が、私共の周辺にどれ程、天地の親神様のおかげが満ち溢れておるかという事をわかる事なんです、信心とは。 それをなら、話しを聞いてわかっただけでなくて、それこそ目に見えるおかげより目に見えぬおかげの方が多いとおっしゃるのですから、その目に見えないようなところまで、私共の心で、その有難いおかげをキャッチする。そのキャッチする心がですいわゆる成り行きを大事にさして頂くという修行に取り組んで、ここでは山頂だけをずっと歩いて行くようなもの。もうはっきり答えが出てきておる。
 それをわかる為に永年私は、難儀苦労させて頂いた。それがわかってこの方は、それ一つ頂いて行けばというのですから、だから容易うおかげが受けられるというのはそういう事。もう簡単に頂けばそういう事じゃない。
 容易うという事は、なら私がこれこそが真の信心だ、これこそが本当の生き方だ、ここを頂いて行きさえすればおかげになる、私が言っておる事を、皆さんそれをわかられたんですから、それを丁度、山頂伝いに行くようにです、その事を行じ守って行く事が容易いんだと、皆さんが練り出さんでよいでしょうが。それをわかっただけで これは私が体験ずみなんです。又、日々それを体験させて頂いとるのだから、そういう生き方、そういう信心によって似の本当の幸せを頂く事が出来るんだと。
 そういう事になりますでしょうが。だから容易うおかげを受けさせるとおっしゃるのは、私共が御教えを例えば頂いて、その教祖様が教えて下さる御教えというのは、とても人間ではそういう事は出来んというよな御教えは一つもない。その気になれば本当に守られる、行じられる御教えばっかりなのですから。その気になって本気でその気で取り組ませて頂くところのおかげ。
 元をとって道を開くものは、なら此処でいうならば、元をとったのは私、そしてなら、耳納の麓から山頂を目指して段々登らして頂いた。
 ところが山頂にはずっと山頂伝いに道があった。だからこの道を歩いてさえ行けばいつもいうならば、信心の無い世界が下に見えるところならばです、そういう高度な生き方というか、それがず-っと出来て行くわけです。
 あられの行をせんでもというおっしゃっとられる、という事はそれこそ、手豆、足豆を作ってからでも山を登ような修行をせんでもよいという事である。
 あられの行をせんでも容易うおかげを受けられるというのは、教えを頂いてその教えを守って行くだけでよいのだという。
 ところがそれも、なかなかようしません。それをなかなか自分のものに本気でしょうと、極めよう、それこそ近藤藤守先生のところの修行生の先生方がです、その御教えの全部を書き写そう、又、桂先生にそれを示されたけれども、桂先生はそれを一つだけ頂いて、とてもこれ一つだけでも徹底するという、徹底して頂くという事は大変な事だというて、そのまま返されたという。
 勿論、此処では毎日このように御教えを頂いてます。けどその御教えは煎じ詰めて言うと、只今申しますように、本気で私共がです、真の信心とはこれだ、真の生き方はこれだと、なら成り行きを大事にさして頂き、いうなら全てを御事柄と受けて行く以外にはないのぞと、そして苦しい事があったならです、例えば富永先生じゃないけれどもです、それを親先生から出掛けに修行しゅうごつなかばってん一修行して行きなさいと言われたから、まあ富永先生は修行と受けられた。
 だから言われんでも同じなんだ。だから苦しい事があったら、それこそ、それを修行と思うて頂いて、本当に修行と思うて頂いて行ったらです、いわゆるそこから容易うおかげが受けられるいう世界が開けてくると思うですね。
                       どうぞ。